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近代科学を切開する

   

近代科学におけるキリスト教の影響1>本田さん

レスありがとうございます。

現在に至る科学史について分かりやすくまとめていただき、ありがとうございます。

ギリシャ哲学 → 近代科学の黎明期 → 市場との関わりの中での科学の問題、それぞれについて考えるところがありました。

補足したい問題点があるのですが、それは近代の自然観におけるキリスト教の影響についてです。

旧約聖書の創世記には、こんな意味のことが書かれているそうです(*要約です)。

>第一日目、神は「光あれ」と言った。すると光があった。神は光と闇とを分け、昼と夜と呼んだ。・・・・・・・・云々、と神による天地創造が続いていって・・・・・・、第6日目、神は「地は家畜、這うもの、野獣を生み出せ」と言った。そのようになった。また神は「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地を這うもの全てを人に従わせよう」と言い、男と女を創造された。さらに神は人を祝福してこう言った。「産めよ、殖えよ、地に満ちよ。地を支配せよ。海の魚、空の鳥、地を這うもの全てを従わせよ」。また「草木全てをお前たちに与える。それが食料となる」と言った。

キリスト教世界の真理である創世記では、人間は特別な存在として神に造られ、あらゆる自然は人間のために存在することになっています。神と人間との関係においては、神を崇め、感謝し、教えに従って生きることが求められますが、自然はあくまで人間にとっての客体であり、支配の対象である、という世界観ができあがります(東洋の無常観や、自然の流れの一部という世界観からは程遠い)。

近代科学の黎明期(デカルト、ガリレオ、ニュートンなどの時代)においては、科学者は、「神の真理の探究者」として存在していました(実際、デカルト、ガリレオ、ニュートン全て、非常に信心深い人間だったと言われています)。聖書は神の言葉として重要だが、神の造りたもうた世界の法則・真理を明らかにする行為も神の意図を読みとる行為として重要なことである、というのが彼らの意識だったらしい。

しかし、しだいに教会の影響力が下がってくると、科学的知識の実用面の評価の上昇もあいまって、科学は「神の偉業をたたえる」のではなく、「“人間のため”の科学」という意味づけが増してくるようになりました。

宗教心や倫理観が切り離された科学は、「人間のために存在する自然」を自由に使用して(実験して)真理を吐き出させる実証主義を重んずるようになり、やがて、本田さんも言われているように、産業革命以降は市場に組み込まれ、統合者階級の力の源泉として機能することになります。

キリスト教の影響を強く受けた西洋の自然観に基づく自然科学は、一面では様々な恩恵をもたらしましたが、現在の様々な問題の原因にもなっています。近代の科学が、「人間優位(人間だけは別格)」「人間と自然(生物)との分離」「自然を支配しコントロールする」というキリスト教的世界観の体系下にあり、そのこと自体に大きな問題を孕んでいることは間違いないでしょう。



蘆原健吾
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