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近代科学を切開する

   

懐疑と実証

蘆原さんのいうように、現在、「科学」はそれだけで肯定的に捉えられています。「非科学的」という形容が意味するものと比較するとより明瞭である。この肯定性は何によって支持されているのでしょうか。

例えば、ニュートン力学は、物質の世界を質点に還元し、その振る舞いを運動法則で決定づけることで、生起する現象を網羅的に把握できます。高い精度で応用を可能にする「確実性」や「有効性」でしょうか。文化や時代を超えた「汎用性」を持つという意味での「普遍性」でしょうか。

少なくとも、この「有効性」や「汎用性」が、他の知識に対して特権的優位性を示している。これが、科学というだけでだれもが肯定的に捉える理由でしょう。

一方、市場社会の中で科学技術の成果は、環境破壊や肉体破壊を生み出しているが、これらは利用方法の問題、応用の誤りとして捉えられている。しかし、「有用性」「汎用性」において特権的評価を得ながら、「有用性」「汎用性」の問題点を自らから切り離すことは自己矛盾である。

果たして、科学とは価値とは無縁の中立な知識体系なのでしょうか。それ自身が強く価値観と連動しているのではないでしょうか。「客観性」「普遍性」という属性も、科学自身が持つ性質ではなく、「科学がそうした性格である」と、主張をしたがる傾向を持つだけなのかもしれません。「実証主義」や「懐疑主義」とは、科学自身の「客観性」や「普遍性」を示すのではなく、その方法が客観的であり、その結果が普遍的であることを主張のためのもののように思えます。

本田さんの言うように、このような事態の直接的な原因は、19世紀の「科学の制度化」以降、特に国家から身分を保証されるに至ったことに求められそうです。肯定的な中身が「有効性」や「汎用性」による評価としての優位性から、特権的身分へと変化したことによって、具体的な評価共認から切り離されて、(特に、マイナスの評価は応用の問題、産業の問題に一面化して、)成立することが可能になったからです。

トーマス・クーンがパラダイム論で指摘したのも、研究を方向づけているのは、社会が抱える問題ではなく、科学者集団の内部共認であり、内部規範にそった研究の様式とその評価という、特権階級の構造ではないでしょうか。

問題は、なぜ特権階級化したのかという点と、そのような特権に正当性を与えるために必要な「実証主義」「懐疑主義」とはどのような認識構造なのかという点です。鈴木さんのいうように、懐疑主義はデカルトの「理性論」からの、実証主義はベーコンの「経験論」からの流れのようにも思えますが。




石野潤
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