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近代科学を切開する

   

実証主義を超えて2

まず、科学的(近代科学という範疇で)であることは、観察や実験に基づく自然科学の方法により対象を記述すること(=実証主義)であるということですが、実証主義自体の妥当性が議論されることなく、無批判に(近代)科学は実証主義的方法によっており、よってそれが正しい(問題解決には最良のと言う意味で)方法であると言うことにはつながりません。

そこで、実証主義の諸学における現在的位置付けを見てみると、現代の自然科学および社会科学の一部では、実証主義的方法はすでに確固とした地位をしめ、それを全面的に否定することは科学の自己否定につながることから、現在の(実証主義的)科学者には受け入れがたい状況にあります。

他方、哲学においては、『実証主義的』という形容詞が『自然科学的方法を哲学的議論の中に無批判に持ち込む非反省的態度。』という侮蔑的意味あいをもち、実証主義を全面的に肯定することは哲学の自己否定につながるため、これもまた哲学者には受け入れられない状況にあります。

社会を対象化する上で有効と思われる、科学と哲学の2大ジャンルにおいて方法論が相容れない状況である以上、科学・技術と社会と関連する諸問題を包括的に考えていこうとしても、それぞれの研究は方法に適した対象に分離したままで、全体として問題をとらえて解決することなど望めそうにありません。

また、近代科学の世界に限っても、実証主義自体の限界性から、基礎を実証主義と同じく感覚的経験(観察と実験)に求めながらも、概念および知識をすべて論理的に再構成する『論理実証主義』(意味の検証理論をその中心におき、論理的・哲学的思考により対象を捉えようとするもの)の展開、観察の理論負荷性の問題から論理実証主義の基盤崩壊、その後のパラダイム論への移行など、実証偏重を懐疑する変遷をたどっているように思います。

そして今、(現在の)哲学も科学も全体的問題に対しては無力だとすると、既存の方法論からはなれて自在に、科学・技術と社会と関連する諸問題を包括的について考えることと(新しい方法論は諸問題に対する解答が出たとき同時に確立するように考えています)と、科学者(哲学者)の存在構造自体の見直し(市場の期待から独立した位置から、対象をみることが出来ることが条件になると思っていますが)とが必要になってくると思います。



本田真吾
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