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近代科学を切開する

   

同時多発的な現象は演繹法(宇宙法則からの啓示)であると考えると理解できる

社会現象の原因及び実践方針を追及していた所、同じ実践方針が同時多発的に発生している事実があった。非常に稀な現象と考えていたが、同時多発的な現象は演繹法(宇宙法則からの啓示)であると考えると理解できる。
「今西進化論  の科学理論」の記事によると、生物界では同時多発的な現象が起こっている。
>構造上共通な点をたくさん遺伝されているものは、類縁的にはなれていても、同じように刺激的な原因のもとでは、同じような変わり方をしがちである。と述べています。
思うに、
帰納法(近代科学の手法)では説明できない事象が多く発生した場合(絶対的な壁に当った場合等)、演繹法(宇宙法則の啓示を元に理論を組み立てる)が唯一の思考方法と考えられる。
実際、洞窟時代の人類は、想像を絶する外圧を突破する方法としてトランス状態(既存の観念を通さず、情念や本能による)になり自然界の原理・法則(精霊を見る)を見つけ出したと思われる。それも同時多発的に
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今西進化論  の科学理論より リンク
「真理とは事実の背後に隠れて、事実を律するものでなければならない。」今西錦司「私の進化論」より
 
 科学理論の創出について考えました。概略すると、形而上世界の理念を現象界で検証する過程を科学とまとめました(池田清彦さんは、「すべての科学理論は、見えるものを見えない同一性(理論)によっていい当てようとする構成」と説明する)。その理念なくして現象界を理解する科学理論はない。この現象界・物質界のみがあり理念界は脳作用の産物ととらえる唯物論では、真の科学は進展しない。
★(帰納法とは、様々な事例をあげて、そこから結論をいう論理展開の方法)
現象界(外界)物質界での観察(データ・事実)→精神界(形而上)での原理・法則→現象界(外界)物質界での検証実験 【新たな観察(事実・データ)が発見されれば原理法則を変えていく必要がある】
★(演繹法とは、一般的・普遍的な前提から、結論を得る論理展開の方法)
精神界(形而上)での啓示・哲学・神秘主義→原理・法則 →現象界(外界)物質界での検証実験 【掲示された原則法則が間違っていれば全てやり直す必要がある】

(一般的に科学は帰納的といわれているが、科学理論を支える芳醇な原理
(ケプラー、ニュートン力学、相対性理論)は演繹的に得られたものである)
(左の構図のみが科学的であると教えられており、実際帰納的方法によって科学法則が発見されることは多いが、天動説もこの方法によって支えられていたことを忘れてはならない。天動説に基づく天文学が長い間天体の運行を正確に予言していたように帰納法によって得られた理論は実用的だが、真理か否かは定かではない。)

 アインシュタインは「物理学の基礎概念を導きだしてくることができるような帰納的方法というものは存在しません。・・論理的な思考は必然的に演繹的なものであり・・」「(物理学)の基礎はなんらかの帰納的方法を使って、われわれがそれに浸って生活している直接的経験を蒸留していけば得られる、というものではありません。」と、『物理学と実在』の中で述べています。
【今西錦司による生物世界構造の捉え方】
 今西錦司は生物の世界の中に「生物全体社会---種社会---種個体」という構造を見いだしました。これが、今西進化論という時間論を論じる前提としての、生物社会の空間論になります。「種社会---(種)個体」の関係は、「(生物)個体---細胞」との対応関係にあります。卵から個体が発生する時に細胞同士の自然選択によって、器官や身体ができるのしょうか。優れた細胞が選択されて、身体は成長してゆくのでしょうか。いいえ、個体という自己同一性に基づいて、一つの受精細胞が発展してゆくのでしょう。おなじように、種にも自己同一性、主体性を与えてみる見方はできないでしょうか。これは、検証されなければ仮説でしょうが、今西理論の根幹はここにあるのです。そして、その哲学の構築には、今までのデカルト-カントの科学哲学では不十分で、シェリング(ヘーゲル)の自然哲学が助けになると考えています。

種と個体の関係
(中略)
 上の図でゆくと、種が、それ以上の階層(たとえば生物全体社会)からエネルギーの流路など生態変化の要請を受けて(根拠もあげず暴言ですが)マイナーチェンジをはたし、原種と差異が生じ亜種化した場合、(個体の交配なくとも)九州のクワガタと四国のクワガタで同時多発的に亜種が形成される。このような現象は、池田清彦氏の「さよならダーウィニズム」に、大澤省三氏による研究でオサムシの例で実例として紹介されています。血筋・系統と種の関係(分類)は必ずしも、同義ではないのです。もちろん、平行放散進化説といわれるこの現象の説明はDNAレベルの問題で、ここにあげるのは我田引水であるでしょう。しかしこの例をみると、「生命潮流」にあった、グリセリンがある時を境に各地で結晶化した話を思い出す。もし、あるオサムシが何らかの理由で種分岐したとき、各地の同じような環境・境遇にある(同様のDNAを持つ)集団も、ほぼ同時に変化を受けることはあり得ないだろうか。これを現象だけ見たら、今西氏の繰り返すように、種は変わるべくして変わるように見えます(参考)。
 「構造上共通な点をたくさん遺伝されているものは、類縁的にはなれていても、同じように刺激的な原因のもとでは、同じような変わり方をしがちである。」とは実はダーウィンも述べているのです。
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岸良造
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