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近代科学を切開する

   

不変の真理としての数学2>石野さん

では、なぜ絶対価値としての『真理』が必要だったのかが、次の疑問です。まず、現実場面での充足が確かであれば、あえて『真理』などということを考えなくてもすみます。当然、何らかの不全があったはずです。かれらは私権闘争の勝者であり、物的な充足は十分だったはずです。しかし、共認充足と言う面では、闘争でばらばらになった私権主体でしかなく、常に相手を警戒するしかない心理状況だったでしょう。そういう私権主体を統合するには絶対権力を基にした『力』による統合が考えられますが、そのような状況下では『真理』などといっている余裕はありません。

絶対権力のによる統合の時代から、植民地と奴隷制による貴族支配者と奴隷という2重構造の時代へ、一人の絶対権力者から多数の平等の支配者へ移行した時代として、ギリシャは位置付けられると思っています。そのような時代背景では、ばらばらの私権主体を統合する『力』は十分でなく、一方で奴隷制の維持や集団そのものを統合する課題は常に存在し、その解決を力の拮抗した支配者間で担う必要に迫られたのではないかと思います。

つねに猜疑心をもってい相手を見ている力の拮抗した私権主体同士では、たがいの私権的な主張の決着は見ることが出来ず、また、秩序安定への期待もあり力でねじふせることも出来ない状況であったのではないかと思います。そこで、私権主体同士の対立の原因になる『感性』をしりぞけ『合理的判断と純粋知性』に傾斜していき、脆弱な社会体制崩壊の潜在的不安から、『不変の真理』という絶対価値に収斂していったのではないかと考えています。そして、その中心に存在したのが感覚の対極にある『不変の真理としての数学』だったのではないかと思います。



本田真吾
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