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近代科学を切開する

   

もう少し、突っ込んで考えてみると>知の解体過程

竹村さん、こんばんは。問題提起3の考察ですね。

>>3.現在、科学(科学技術)の問題性が叫ばれているが、その根本原因は何なのか。果たして、キリスト教にあるのか。あるいは、パラダイム論的な専門集団性にあるのか。あるいは他に原因はないのか。<<(4416)

> 根本原因についてはどこまで遡るかで見解が分かれそうですが、私としては「市場社会の拡大による村落共同体の解体・都市化 → 社会における専門分化・核家族化・個人主義化」という近代の社会構造の変化(※実現論に詳しい)によって、生活に密着し大半が不文律に存在していた人類の知恵(の「体系」)が、(再統合されることなく)細分化、専門分化されてしまった、という点が重要に思います。<(4441、竹村さん)

科学の起源が市場の成立とほぼ同一であり、科学の発達が産業革命以降の話であることからも、おそらく科学(科学技術)の問題性の根本原因も市場拡大、つまり私権獲得に強く関連するだろうというのは、容易に考えられることですね。ただ、共同体が解体・都市化したというだけでは、まだ抽象的なような気がします…。それに、果たして「生活に密着した不文律(人類の知恵)が再分化、専門分化されてしまった点」が科学の問題性と直接的に繋がるのでしょうか。間接あるいは規定条件として重要であることは認めますが…。

不文律とは、どちらかと言えば本能や共認回路上の問題ではないでしょうか。生活に密着した知の解体とは、本源共認解体の問題なのでしょうが、科学を「普遍的真理や法則の発見を目的とした体系的知識(知の体系)」と捉える時、私はそれはほとんどが観念回路上の問題であると思います。竹村さんのタイトル『知の解体』とは、間違った観念の解体なのではないでしょうか。

科学技術の向上とは、人類の先端機能である観念の実現形態としての科学(科学技術)の成果であり、それが人々にとって成果として受け入れられたのは、「生活が豊かになった」という利便性や効率性であり、それが駆動力となって向上していったのだと思います。しかし、同時に環境破壊(→肉体破壊という犯罪)をも引き起こしているという問題があります。その問題性は、先ほど述べた市場拡大と密接な関係があるのはそのとおりですが、科学の問題を観念(ひいては認識)の問題としてみた場合に三つの疑問あるいは原因が考えられるのではないでしょうか。

まず、専門性というの名の下に、一部の観念しか使っていないがために、その有用性ははなから限界があり、不完全である。さらにその専門性を特化させた観念であるがゆえに、本能や共認との乖離が激しくなってしまって実感できない。ましてや竹村さんが指摘された肝心の本源回路が解体されておれば、ますます現実から遊離するという問題が引き起こされるでしょう。3番目にそもそも観念は人類の先端機能であるがゆえに、行動(実現)とともにあるものです。そうすると、そもそも科学の実行とは、一体どのような問題性を持っているのか、という改めての疑問が起こってきますね。特に近代以降、科学とは自然に対して、我々に対していったい何をしてきたのか、…。



吉国幹雄
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