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近代科学を切開する

   

「利己的な遺伝子」を切開する 1

ドーキンスは、まず始めに定義する。「厳密にいうなら、この本には、いくぶん利己的な染色体の大きな小片と、もっと利己的な染色体の小さな小片という題名をつけるべきであったろう」・・・「私は、遺伝子を、何代も続く可能性のある染色体の小さな小片と定義して、この本に『利己的な遺伝子』という表題をつけたのである」・・・「私は自然淘汰の基本単位として、従って利己主義の基本単位として、遺伝子を考えるほうがいいと述べた。私が今おこなったのは、私の主張が必ず正しくなるように遺伝子を定義することである。」
要するに、長期に亙って変異することのない遺伝子を仮定したいと云うことらしい。
そして又、こうも云う。「遺伝子を、少なくとも潜在的に長命・多産性・複製の正確さという特性をもっている最大の単位と定義する。」そして、つい筆をすべらせて、こんなことまで云っている。「遺伝子は・・・・、充分に長い染色体の一片として定義される。」・・・「実際の自然淘汰の単位として最大のものである遺伝子は、ふつうはシストロンと染色体の中間のどこかに位置する大きさであることが分かるであろう」


私は、唖然とした。学者たるものが、DNAの諸構造や諸機能(とりわけ、組換えや修復や免疫の分子的な仕組み)を知らずに、遺伝子について物を云うなどと云うことが、あり得るのだろうか?そんな筈はない。そこで何度も、彼の云わんとする奇妙な「遺伝子」の定義の意味を、捉え直してみた。しかし、どう考えてみても、彼の立論の大前提をなす「遺伝子」など、現実には存在しないのである。

まず第一に、彼が想定するぐらいの長さの遺伝子群なら(特に有性生殖の場合)、その多くが組み替えやミスによる変異を伴っている。つまり、殆どの遺伝子群は、自己ではなく変異体=同類他者を複製しているのである。もちろん、ごく短期なら、変異していない遺伝子群も存在する。しかし、彼が望むように定義した「自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続き得る」変異しない遺伝子群などというものは、時間が長くなるほど限りなくゼロに近い確率でしか、存在しない。

第二に、もし彼の望み通りに(現実には殆どあり得ないが)、「変異しない、充分に長い染色体の一片」が存在したとしても、変異しない遺伝子(群)は、進化の誕生とは全く無縁である。云うまでもなく、進化は、全遺伝子群(ゲノム)が変異する=同類他者を作り出すことによってのみ発生する。云い換えれば、全遺伝子の共同体が出来る限り多様な同類他者を作り出すこと(もちろん体内適応という条件を満たして)こそが、全ての進化の源泉なのである。
(補:他に進化を促すものとしては、既に存在する変異体の間に働く淘汰が、進化の第二ステージとして存在する。)


四方勢至
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