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西欧科学は狂っている

   

「デジタル脳」と「行動・実感脳」との差

私は建築設計事務所に勤務する60歳のおじさんです。
最近、1年生とする仕事の中で何となく違和感を感じています。
その現象は、図面(絵・線・文字)をみて実感が浮かばない。図面をみながら目の前の「窓」の納まりをみて話をしても図面や線と実体がつながらない。

古い世代は、デザインを追求する際に、ある部分がどのような形になっているのかを知るために簡単なパースをよく描く。しかし、彼らは描かない。描く代わりに頭の中で考えているようで、もやもやした顔をしていることが多い。描く必要を感じないから描かない。また、線と実態が整合しなくてもよい環境にいたようだ。描く充足を感じたことがないのかも。

一方でコンピューターで描くパースの操作はできる。しかし、詳細の納まりを知らないからうそっぽく見えて絵に力を感じない。しかし本人は違和感を感じていないようだ。良く出来た絵と比較してみても感じるところは少ないようだ。欠けている何かを掴めない感じだ。

4年生の中堅から、「彼らはデジタル世代」だからですよ。と教えてくれた。

私達の世代(1960年前後生まれ)の子供時代の遊び相手はまずは空、海、山、川の自然があり、そこに住む太陽、星、風、雨、木々や魚、動物があった。家制度は残存しており夏休みや冬休みに実家に帰ると10人以上の従妹がざこ寝しながら異世代の共同生活をした。
全ては手を動かして作ったり描いたしてみんなの評価を受けて充足した。

習うより慣れろ。一聞は一見にしかず。

全ては行動を伴って体全体で覚えた。全てに実感が伴い、そのあとに絵(や図面)という表現を見て納得した気がする。とにかく実感が先にあった。

しかし、2000年前後生まれの若者は、密集した都市に住んでいるために、自然やそこに住む生き物との接触がない。さらに、情報の多くはデジタル、バーチャル形式でここでも手書き感がない。補足だが、仲間関係も表層的だが絶対的な関係が故にいじめが生まれる。歪だ人間関係の中の行動からは充足は少ないのだろう。

絵を描くとは、手や目や神経を含む脳を使う。会話をしながらの作業ならば聴覚も使う。そして繰り返せば(反復作業は)体が記憶する。これは自転車に乗る運動を脳が忘れないのと同じだ。

ではデジタル情報はどうか?
脳が映像や一方通行の音声情報を価値評価をしている。しかし、脳は自然体験した行動=充足した実感が伴わないので、それに近い感覚をこれまでの行動体験から模索するも一致するものがないのだろう。だから悶々とするのではないか?
聞く・見るだけでは脳に定着しない。

どうも自然を相手にした充足体験(行動)の有無の差は大きいのではないか?

脳科学からこの差を調べてみたい。



酒井俊弘
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