忍者ブログ

近代科学を切開する

   
カテゴリー「近代科学」の記事一覧

近代科学信仰の破綻と学校教育

原始共同体では、現実や社会の説明のために信仰や祈りを中心に寄り添いながら生きてきた時代であった。観念も最小限にその伝達手段としてのみ用いられてきた。一方で宗教改革に伴って、自然を切開しようとした近代観念が生まれ、信仰や祈りと対立する形で、社会を説明する文脈が科学信仰に移行した。そこから今日まで科学至上主義として物質文明を育んできた。

信仰も科学もともに社会のしくみや生き方の規範やものさしをどう捉えるかという共通のものであったが、近代科学信仰が進みすぎて、社会がユークリッド幾何学であったものが、最近では素粒子理論やダークマターなどになってすっかり矛盾、破綻している。

科学技術が発展することで人々の生活が豊かになり、いくつかの危機を乗り越えてきたとされる。しかし、結局現実社会の事実を認識しているクオリアに関しては次のように未解決のままである。人が感覚として感じている現実社会の基盤である部分はこれまでの科学ではずっと触れられずにいるわけである。

リンク

意識やクオリアという「感じる」「質感」の領域には科学は全く役に立たない。近代の量子力学の結論も「そう見たらそう見える」という良く分からない結論になってしまっている。現実世界を観念に翻訳する時にすでに何らかの翻訳が生じていることに他ならない。しかも近代科学が説明する認識にはタイムラグが発生せざる得なく意識が認識するのは無意識の領域となるのである。

『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダージュ著

そんな矛盾を多く孕んでいるにも関わらず、科学も信仰もひとつの考え方であり、物事をどういう言語を用いて説明するかという手段に過ぎないということを現代の教育では捨象する。捨象だけなら公理を求める前提としての現実自然現象の複雑なパラメータを排除するという言い訳もできるが、それよりも近代科学は矛盾するけれど絶対として詰め込み続けている。存在や事実、構造を考えるときの基盤として刷り込まれてしまうため、現実のあらゆる問題が未解決のままとなっている。

科学は万能ではなく、ひとつの説明言語でしかない。例えば地震予知はできないのに、ある地域での地震予知がまるで可能なように振舞う。そのことによって実際それ以外の地域で発生することで被害が大きくなってしまう。放射能はコントロールできるといいつつ、廃炉のめどが立ってない。病気は原因物質が特定できているといいつつ新しい病名が日々増えていく。

科学至上主義で近代科学や近代観念を学校でいまだに教えている。教えるなら、その前提をしっかりと伝えるべきであり、それはひとつの信仰であるということを伝えるべきである。さらに専門化、細分化され、もはや大自然にきちんと向き合って進める類のものではなく、専門用語や特殊言語の習得から始める観念上の訓練になっている。そんな近代科学はすでに若い世代には魅力のかけらもなくなってしまっているのだろう。

だとすると、実在する質感や意識から発する基盤が、今後の学校で求められる教育になると思う。科学知識よりも体験や行動を伴ったものが中心となるだろう。



匿名希望
PR

科学的思考様式もまた、ひとつのイデオロギーである

科学的思考様式もまた、ひとつのイデオロギーである
リンク より

科学的方法で得られた知見は「客観的」知識であり、自然科学の探求は世界の“真の姿”の描写を目指している、といった、信仰に近い考え方がある。

科学者の間にも、また一般の人々の間にも、かなり根強く普及している神話である。この“客観性信仰”は、科学者共同体が、自己正当化し、権威付けを行うのに都合のよい宣伝文句として利用されているが、実質の伴わない思い込みに過ぎない。

実験的方法と数学的解析を結びつけた実証主義的方法論を核とし、機械論的自然観に根ざした近代科学は、17世紀のヨーロッパという歴史的・地域的制約条件のものと成立してきた。人類に普遍的な思考様式などではない。近代西欧文明の価値観を反映し、また西欧文明のあり方に影響力を行使しつつ、自然科学は発展してきた。

つまり、科学的認識方法は、世界の見方に対する「歴史的伝統」のひとつなのである。
科学者は往々にして、このことに無理解である場合が多いのだが、それは科学的物の見方・考え方が当たり前と思い込むように、高校、大学、大学院の研究室で教育され、自明のものと受け取るようになっているからであろう(振り返ると私も大学時代にそのように教育された)。一定の訓練を積まないと、仮説構築や実験プランを立てることは困難である。その訓練の過程で、いわば“マインドコントロール”され、自身の思考様式が客観的・普遍的様式であると誤認するようになってしまうのではなかろうか。

自然科学の諸分野では、分野ごとに、一定の約束事で世界を切り取っている。複雑で多様な世界を理解するために、理想的状態―真空中の運動、分子間力と大きさのない理想気体分子など―を仮定したり、物体の性質のうち数式化に馴染みやすい性質のみを考察の対象にしたりする。これらは、科学者の共同体において、歴史的に形成されてきた必然性のある約束事である。

ある時代の科学者集団は、その研究の生産性の観点などから、一定の自然像を暗黙のうちに選び取り、その自然像と親和的な枠組を構築して、その内部で研究が行われる。そして科学教育も、その枠組の内部で行われ、科学者が再生産される。科学的世界観は、いわば“恣意的”に切り取られた約束事の上で成り立っている人為的な世界模型なのである。
もちろん、“恣意的”だからといって、科学的認識が現実的な世界把握から無制限に隔たってしまうわけではないが、科学に内在する方法論の束縛のため、ある一定の制約を受けているのは確かであろう。

ところで、用いる言語の違いによって、その言語で分節される世界像が異なってくることは、よく知られている。人は、言語を通して、世界を把握する。
科学者集団や、さらにその内部の個別専門集団においては、それぞれの専門用語体系が成立している。となれば、科学者共同体の世界把握は、その共同体の用いる用語と概念枠組による束縛から自由ではないし、その内部の、原子核物理学のような個別分野の専門家集団は、さらにまた異なる専門用語体系のもと、他の分野とは異なるフィルターのかかった世界像を有することになろう。

そして、得られる科学的知識は、その知識獲得に向けて用いた方法に依拠するため、その方法が掬い取れる性質の知見のみが限定的に得られる、という構造的限界が存在する。
したがって、科学者が“ありのまま”に前提なしに自然界を捉えている、というのは幻想に過ぎないし、科学的世界像が、客観的・普遍的世界把握である、というのは根拠のない信仰に過ぎないのである。

ところが、問題なのは、歴史的に形成され限定付けられた認識方法である科学的方法が、あたかも唯一の正しいものの見方・考え方であるかの如く装われて、権威を伴いつつ世の中を流通している事態である。
その意味で、科学的思考様式は、ひとつの「イデオロギー」としての効力を社会において発揮している、とみなせよう。
原子核物理学者や、原子力技術者は、それぞれの専門化集団内で、独自の教育を施され、特定の訓練を経た後、特殊な専門用語と概念枠組を身につけた専門家である。そのため、必然的に、一般の人々の世界認識とは世界像にずれが生じる。

このことを自覚して、自ら属する枠組の特殊性に対して、批判的検討を加えたり、専門外の人々との意見の流通を図ったりすることができれば、科学技術分野としての原子力は、“原子力ムラ”に呑み込まれずに済んだかもしれない。だが残念なことに、この分野での「枠組外し」を自覚的に行い得たのは、武谷三男氏や高木仁三郎氏や小出裕章氏など、一部の限られた人たちにとどまった。

大部分の多数派は、自らの専門分野の枠組内に安住し続け、人間としての人格的参与をせず、組織に責任を預けてしまっていた。
これらの原子力の専門家に対しては、高木氏の批判的コメント、「議論なし、批判なし、思想なし」がまさに当てはまる。
自らが「専門家であること」に対して、つねに批判的検討のまなざしを向け続けることが、専門家に課せられた責務である、と私は考える。

(引用終わり)




中村英起

科学者の多くが、原因と結果を取り違えている

原因と結果を取り違えていないか?
リンク より

最近、色々と検索して調べている中で、どうも科学者の多くが「原因と結果を取り違えているではないかと思うものが出てきています。
その一つは、「Co2地球温暖化説」であり、もう一つは、「断層地震学」です。

実は私が気にしているのは、これらは世界の一般市民に深く直結しているものだからです。
すなわち、これらが世界の国々の政策と市民生活に大きく影響しているからです。
共に、それを専門にしている科学者は自身の死活問題でもありますから、必死でそれらの学説を守ろうとしていますけど、共に「逆じゃないのか?」という意見が根拠を示して出てきているわけです。すなわち、逆にした方がずっとうまく説明が付くというわけです。

地震学についてはちょこちょこと疑念と批判をしてきましたが、たまたま「地球温暖化」に反するNASAの観測結果発表記事を読んでいて、それを思い出しました。
南極の氷は確かに西岸ではへっているそうですが、内陸部では逆に増えていて南極全体では今まで宣伝されていたこととは反対にむしろ氷は増えているそうです。知らなかったんですが、ロシアの科学界では、西欧側とは異なり、「地球寒冷化」を主張するのが主流だそうです。
有名な美人女性物理学者がそれで有名になりましたが。寒冷地シベリアを抱えるロシアですから、彼らなりのデータ根拠があると思います。

要するに、まず「地球温暖化」というのは、世界中の大半の科学者の一致した見解ではないということであり、ましてや、「Co2地球温暖化説」というのはかなり恣意的ではないかということです。Co2地球温暖化説に反対されている科学者は、「Co2上昇⇒温暖化」ではなく、全く逆で「温暖化⇒Co2増加」と主張されています。原因と結果が反対だと言う主張です。

私が、なぜ西洋主流派の「Co2地球温暖化説」に疑念を持ち始めたかと言うと、反対者側に対する主流派側の反論に論理的説得力がないからです。不都合は答えないで無視するかごまかそうとするからです。反対側科学者が提示したデータを見ました。「Co2地球温暖化説」側が決して出してこなかったものです。確かにそれによれば、「Co2地球温暖化説」なんてどこにも根拠はありません。そして、前述のニュース記事では、「またかよ」という「Co2地球温暖化説」側の科学者の言葉を目にしました。「太陽は地球の温度にほとんど影響しない」。これってどういう根拠で言っているのでしょうか?太陽との関係を主張されているのは素人ではなく科学者です。ということは、「太陽は地球の温度にほとんど影響しない」などと言うのは、万人が納得できる科学的事実などではなく、単に「Co2地球温暖化説」学者が「信じているだけ」ということが十分伺えます。前に書いたのですが、「Co2地球温暖化説」反対学者の講演で反論した若い科学者がいたそうですが、講演者が根拠を尋ねたら「世界の多くの科学者が正しいとしている」という極めてバカバカしい子供そのものの答えをしたとのことで講演者は呆れ果てられたそうです。

こんなんばっかりじゃないですか(-_-メ)。科学者のくせに、教科書、習い覚えたこと、権威がいう事をそのまま忠実に信じ込んでいる・・・こんな科学者は一生何も見いだせずに終わる三流科学者でしょう。頭脳の問題ではありません。本質的な科学に対する思い違いをしているといいたいのです。散々私がここで批判している「黄門様の印籠」を掲げているだけじゃないですか?「Co2地球温暖化説」反対学者の「温暖化⇒Co2増加」説については彼らは科学的説明をされています。それが間違いだと言うのなら、きちんとそれを論理的に提示すべきです。そして反対科学者が複数おられるということは、「Co2地球温暖化説」は絶対正しいということにはならないということです。単に「西洋側の多数決」だけだということです。

私はそんなものを政策にしていることに大きな疑念を感じています。「誑かされている」だけではないかと。もうごまかしは信じられません。

断層地震学もそうです。地震⇒断層という主張を目にしています。そして、濃尾大震災での農民の目撃談に「地震が起きてから断層ができて進展した」というのがあるのです。また、地震学者のいう「活断層判断」なんて極めてあいまいです。コンクリートの残骸を活断層と勘違いして、胸張って公開し、建築士の方に間違いを指摘された情けない「活断層専門家」地震学者がいるくらいです。信用性ゼロです。
今の地震学が正しいと主張するなら、合理的・論理的に地震⇒断層という原因と結果を逆にした主張に反論すべきです。私の見る限り、ネット上にはありません。答えられないから無視しているだけだなと思っています。

我々は、科学者が述べ、教科書に書かれていると、全てきちんと直接の実験観測で実証されているかのように考えてしまいますが、そうではないものが実は多々あり、また、追及していくと、根拠のないものが信じられている例が多々あります。一種の思い込みなんですね。

そういうのは専門家ほどありうることです。たとえば、「斉一説」なんて根拠はありません。
西洋的キリスト教文化が知らず知らずのうちに反映しているだけに過ぎません。
そして、専門家というのはプライドがありますから、弱点を指摘されると、それを柔軟に考えようとせず、そんなことはないと凝り固まってしまうのです。かくして、科学の進歩は回り道ばかりしてしまう・・・

(引用終わり)





中村英起

打ち上げ再延期のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡、その開発が難航する理由

打ち上げ再延期のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡、その開発が難航する理由
リンク
より転載。

-------------------------------------------------------------------

ハッブル宇宙望遠鏡の後継機であり、かつてないほど遠くの宇宙を見渡せると期待されるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠。しかし、打ち上げは再度延期、コストは膨張、テストで抜けたネジの数本は行方不明と、その開発は難航している。なぜこのプロジェクトはここまで問題が多いのか。

過去10年もの間、天文学者たちがその導入を心待ちにしてきた優秀な実験装置がある。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡──地球から150万kmの距離に打ち上げられるこの望遠鏡は、宇宙の過去最遠部を観測できるという。

目的地に到着してすぐに、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は遮光シールドを開く。微かな遠赤外線をもとに観測を行う特殊なセンサーを保護するためだ。このセンサーによって、ビックバン直後に形成され光がようやく地球に届きはじめたくらいの星など、宇宙の最遠部にある物体を観測できるようになる。

そうはいっても、科学者たちが木星の大赤斑にズームインしたり、太陽系外惑星を探したりできるようになるのはまだ先のことだ。

テストで抜けた70本のネジ

今年6月26日、NASAはジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の組み立てやテストをチェックする調査委員会による報告書を公開した。

報告書には、問題がいくつも並んでいる。繊細な推進バルブの清掃には間違った溶剤が使われ、振動テストの際にはきちんと締められていなかったネジが70本も落ちたという。こうした問題によって、18カ月の遅れと6億ドル(約665億円)の追加コストの発生を余儀なくされた。

このプロジェクトは当初の予定からすでに3年も遅延しており、コストの総額は96億ドル(約1兆632億円)に達している。ちなみに、抜けたネジのうち数本はいまだ行方不明だ。

もしほかに問題が起こらなければ、新しい打ち上げ予定日は2021年3月30日になるだろうとヤングは付け加えた。「さらなる問題は考慮していません」と彼は言った。

当初のコストは5億ドル

1990年代の考案当初、ジェイムズ・ウェッブ望遠鏡は2007年までにたった5億ドル(約554億円)のコストで完成する予定だった。

ただし、2011年にその予算が50億ドルにまで膨れ上がると、米国下院委員会はプロジェクトのキャンセルに投票した。ところが、メリーランド州選出の上院議員だったバーバラ・ミカルスキーが予算を復活させた。NASAがコストを80億ドル以内に収めることを保証できる限り、という条件付きでだ。

そして17年、プロジェクトは手に負えなくなりはじめた。調査委員会が、開発を請け負ったノースロップ・グラマンによる組み立てやテストに複数の問題があることを発見したのだ。

報告書によると、これらの問題はヒューマンエラーや組込システム、経験不足、過度の楽観主義、そして初めて製造されるいくつものシステムが織りなす全体の複雑さによって生まれたという。

未経験だらけのプロジェクト

NASAにとって、遮光シールドやセグメント化された反射鏡の設計・組み立ては初めての経験だ。NASAの機体が打ち上げのためにパナマ運河を渡ってフランス領ギアナに輸送されるのも初めてのことである。NASAが宇宙機を欧州宇宙機関の「アリアン5」ロケットに載せて打ち上げるのも初だ(2021年の打ち上げ時には「アリアン6」になっているかもしれないが)。

未経験者にとってはかなりのタスク量だと、報告書には書かれている。さらに悪いことに、万が一打ち上げ後に何か問題が起きた場合も、NASAは宇宙飛行士を修理に送ることができない。単に遠すぎるのだ。

複雑なエンジニアリングシステムを研究しているとある外部の専門家は、望遠鏡の諸問題を解決するカギはさらなるテストではないかもしれないと話す。「彼らがすでに発見した問題については心配していません。わたしが心配しているのは、打ち上げまでに発見されなかった問題についてです」と、マサチューセッツ工科大学(MIT)の航空宇宙工学部でリサーチサイエンティストを務めるジョン・トーマスは言う。

実際、調査委員会のヤングは2021年打ち上げへの自信は80パーセントくらいだと言っている。そして、遅延によってかかる税金は1日100万ドルだ。

「ピンぼけハッブル」の二の舞を防ぐために

NASAの担当者は、プロジェクトへの投資を守ろうとした。

「宇宙のはるか遠く、はるか昔の様子を見渡せるようになるのです」と、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡開発のチーフ・サイエンティストを務めるジョン・マザーは言う。「星が生まれる塵雲のなかをみることだってできます。この新しい望遠鏡からは、いままで達成し得なかったさまざまなものが期待できるのです」

たしかに、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は28歳になるハッブル宇宙望遠鏡に比べると大きなアップグレードだ。しかし、ハッブル望遠鏡をめぐるトラブル(打ち上げ後に交換されることになったピンぼけ鏡など)の影は、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡にもついてまわっているように思える。

80億ドルの制限があったはずのコストは、さらに8億ドル増えた。しかも、そこには5年間プロジェクトを継続するためのコストは含まれていない。それも含めれば、総コストは96.6億ドル(約1兆707億円)になる。

NASA新長官のジム・ブライデンスタインは、キャピトル・ヒルまで予算追加のお願いをしなくてはならなくなった。その一方、NASAゴダード宇宙飛行センターのエンジニア数十人が、現在カリフォルニア州レドンドビーチにあるノースロップの施設に送りこまれている。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡まわりの仕事をもっときちんと監督するためだ。

彼らは長期滞在を覚悟したほうがいいだろう。プロジェクトは(緊縮状態の議会も)、これ以上は洗浄剤のヘマには耐えられないだろうから。

--------------------------------------------------------------------




古越拓哉

『自然科学』って何だろうか?

『自然科学』って何だろうか?
リンク より

『自然科学』って一体全体何でしょうか?
wikipediaには
科学的手法により一般的な法則を導き出すことで自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称
と書かれています。

しかし、この説明、ちょっと見は当然のように見えますが、今の私には少々違和感を感じています。

そもそもなぜ『自然科学』という学問が生まれたのでしょうか?
昔から人間が共通認識として自然現象に対して感じた不思議さを解明したいという自然の欲求から必然的に生まれた学問ではないでしょうか?そして、地球生物の中で唯一『人間』のみがなしてきたものであり、得られた知見から多くの『科学技術』が生まれ、人間にとって計り知れないほどの恩恵を与えてきています。勿論、兵器のような人間にとってあだになってしまった技術さえも生んでしまいましたが・・・

いずれにしろ、本来『自然科学』は『全ての自然現象の謎』を解き明かす学問のはずではなかったでしょうか?で、そう言うと恐らく、皆さんは「そんなことは当たり前だ」と言うでしょうが、実際を見て見ましょう。本当に現在の自然科学はそうなっているでしょうか?

私がWikipediaの説明に違和感があると感じているのは、冒頭の『科学的』という言葉です。
私がこのコーナーを作った目的でもあり、再三書いてきたのですが、アマチュアゆえに感じてしまっている現代科学のあり方への捨てがたき疑念からこの『科学的』という語彙に一種の反発を覚えてしまっているのです。

現在の『科学的』という言葉は、科学アカデミズムの世界で、既に確立した真理だと学者が信じている教科書定説理論に沿うことのみを意味しているようです。ですから、それとは異質のものはたとえ実際にあっても「そんな自然現象はない、嘘だ。とんでもだ。」とはなから無視またはそれを言う人へのひどい人格攻撃までなされています。

しかし、これこそ、本末転倒ではないでしょうか?私が前述で『全ての自然現象の謎』と言いましたが、現代科学は、確立したとされている理論で説明可能と思う自然現象のみが自然現象だと勝手に決めつけ、それ以外は幻としてしまっている『ご都合主義的選択的』自然科学になり下がってしまっている気がしてなりません。

そして、本来は『自然現象の謎』を解明するのが本質なのに、曖昧なところがあっても「つじつまがあっていればそれでよい」というスタンスで「できないからそれ以上そこは深入りしない、する必要性はない」というのが「あきらめればわかる」という言葉に如実に現れているのです。

そういう意味では、私は『自然科学』はその歴史において本来の筋からずいぶん変節してしまったという気がしています。誰でも子供のころには自然現象の不思議さを感じ、理科へのあこがれみたいなものを感じるものですが、少し大きくなると理系嫌いが多く出てくる理由はまさにここにあるのではないかと思います。

要するに、本来の『自然科学』の本質である自然現象の謎(人間の素直な「なぜだろう?」という思い)の完全解明ではなく、高等数学と思考実験やシュミレーションによるつじつまわせでのHowの追求ばかりと、そういうところからでてきたいかにもエレガントで美しい理論について間違っているはすがないと言う強い思い込みから、それに反するような実験・観測データが出て来ても、実験観測者自身がデータ不備と思い込んでしまったり、そうではなくても「そんなはずはない」として無視するか、無視できなくなると、少しの修正でいいはずとまたもや次のつじつま合わせ補正を行うだけ・・・

そうやって、基本的教科書定説には一片の疑いも持たず、その線上でせいぜい修正だけ追求しているのが、現在の『自然科学』と称されているものです。

(中略)

本来あるべき『自然科学』の本質に戻り、観察目撃者数の多少に係わらず『全ての自然現象』を先入観を捨てて素直な気持ちで着実な実験観測と出て来たデータを勝手な先入観で取捨選択せず素直に捉えて完全解明していくという風になって欲しいと切に願うのですが、どうやら当面は(地球では永遠かも)無理なようですね。

こういう意見は浅学菲才のアマチュアの勝手な戯言としか思われないのでしょうね。しかし、少なくとも日本では真理だとして義務教育で習う「進化論」を打ち立てたダーゥインは講義もしたことのないアマチュアだったそうですねぇ。

自然科学の世界は最初は反対者があっても、一旦多数派になるやいなや完全に神聖にして犯すべからずの真理に祭り上げられてしまうようです。結局、真の真理というより多数決で真理が決まってしまう世界ですね。だからこそ、いくら攻撃されても反対者が後を絶たないというのは人間故の当然のことでしょうね。そういう自然の人間心理を勝手な偏見で「間違っているから目覚めさせないといけない」とばかり、攻撃するアカデミズムには「何様だ?」という強い反感しか感じられず、そういう目で見るとあまりにも曖昧さばかり目についてきて不信感の虜になってしまっています。

(中略)

対象範囲が異なっていようと、同じ科学分野であり学問手法自体に相違はないはずです。
だからこそ、この歳になって一つ湧いた疑問からどんどんと色々な面に対して疑念が膨らんできてしまい、自分の浅学菲才のなせるわざだろうと調べても意外にも全然疑問が解消されない状況であることにわかり暗澹とした気持に落ち込んでいます。

(引用終わり)




中村英起

ランキング

にほんブログ村 科学ブログへ お勧めサイトランキングへ

カウンター

カレンダー

08 2018/09 10
S M T W T F S
2 3 5 6 7 8
9 10 12 13 14 15
16 17 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カテゴリー

ブログ内検索

バーコード

P R

Copyright ©  -- 近代科学を切開する --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]