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近代科学を切開する

   

遺伝子組み替え食品の問題性 2

そこで、元の問題に戻りますが、『生きていない状態』はただの物質で、食品の場合はその直接的毒性が主な問題になるはずです。この問題は、物質の毒性と言う意味で化学物質(農薬など)という次元の問題として考えられるのではないかと思います。この判定は比較的容易で新薬開発のような基準で審査すれば大きく問題は出ないのではないかと思いますが、審査期間の延長により市場の優位性が落ちるという、お決まりの市場問題で制度化が遅れている状態です。ただし、現在の科学的認識でわかる範囲の見解ということになるでしょう。

事例としては、遺伝子組み換え作物を大規模に販売しているのはアメリカ合衆国の農薬会社モンサント(Monsanto)社という企業があります。この会社はベトナム戦争で生物化学兵器戦略に参加し、空軍の枯れ葉剤撒布という人類史上最大の生物化学兵器被害をもたらした化学(農薬)メーカーです。枯れ葉剤によって直接死亡したとされるベトナム人は、ほぼ3500人だったといわれていますが、生まれてきた子供たちへの遺伝的な影響を含めて、言語を絶する被害となりました。この会社は日本の厚生省の認可も数多くとりかなりのシェアーを占めています。

彼らは、除草剤耐性遺伝子を導入した作物を販売しています。そして、それとセットで組替え作物専用の除草剤を販売していいます。除草剤耐性遺伝子の物質としての毒性検査は十分とはいえませんが試験され安全と言われています。検査自体の強化はのぞまれますが物質(生きていない状態)の問題だと考えています。むしろこの場合の問題は、大量に散布された農薬のほうにあるのではないでしょうか(農薬耐性があるため思う存分散布できる)。ということで、これは遺伝子組み替えの得体の知れない怖さとは別問題と考えています。

そのほかにも、初期の組替え製品に、生物の作り出した毒素(物質)が検査されぬまま販売され、問題になったことがあります。昭和電工が遺伝子組み換え細菌で製造したトリプトファン入り健康食品で、アメリカ、カナダ、ドイツなどで38人の死者を出し6000人を超す人が後遺症を負っているという事例があります。これも惨劇というしかないのですが、遺伝子組み替え特有の問題というよりも、健康食品であるため医薬品のような検査体制にのらなかったというところに問題があると思います。

毒性物質は既存の化学で発見済(過去から存在する)もので医薬品認可レベルの安全性試験(動物実験など)が行われたなら発見できていたでしょう。現に、医薬品なんかでは遺伝子組み替え技法によるものが、いくらでもあります。インスリン、成長ホルモン、抗血小板剤と数え上げればきりがないほどです。

ここにも、市場性優先と言う問題が大きく横たわっています。医薬品ならばその付加価値が市場にも認められ、膨大なコストをかけて検査を行い、それを回収できるだけの価格設定をしています。(それが、正しいかどうかは別問題ですが。)しかし、農産物の価格はそのような構造になっておらず、現在のところ安全性より企業利益が優先しているのでしょう。

ということで、『生きていない状態』の遺伝子組み替え食品の問題は、物質としての毒性把握が主な問題となり、一般医薬品レベルの検査でが可能でかつ市場性(食糧危機緩和に対する市場期待への応望という側面も考慮して)にあえば、何らかの可能性があるのではないかと考えています。



本田真吾
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原爆をつくった星少年たち 2・・「科学者独自の倫理」

この価値判断は原爆をつくった科学者達にも当てはまります。原爆開発とはどのような分野の科学からなるのでしょうか。それは、原子核.宇宙線.星に進化.宇宙での元素起源などX線天文学やビックバン宇宙論と深く関連する分野です、原爆で起きる現象は宇宙で起きる現象の再現なのです、それを地上で実験.観察する科学が、巨大な素粒子加速器を利用する、高エネルギー物理学といわれる分野です。

マンハッタン計画では、当時アメリカ最高の理論物理学者と評されたオッペンハイマーという原爆推進のリーダーである科学者が悪玉にされ、それを実際につくりあげた科学者はなんの責任追及もされていません。そのうえ、その科学者のなかにはたくさんのノーベル賞受賞者がいました(その後の受賞者も含む)、コンプトン、ローレンス、ユーレイ、フェルミ、ウィグナー、ベーテ、レビ、アルヴァレら多数、このほか、20世紀最大の数学者と言われるノイマンも加わりました。

そして、その他科学者と製造関係者まで含めると、12万5000人が2年半ロスアラモス研究所で研究開発を進め、原爆を完成させました。研究所の雰囲気は兵器開発という内容にもかかわらず、自由な討論にあふれ、全員が一心不乱に研究に励んだそうです。かつて、星や宇宙にあこがれ、その探索に励んだ少年達は、その研究に対する興味だけで原爆開発に励んだのでしょう。サイクロトロンなどの大型加速器は、今でも国家の投資がなければ建設不可能であり、それを利用して宇宙でおこる現象の一部を地上で再現できますから、科学者にとってまたとないチャンスだったと思います。その純粋?な追求活動の結果、原爆は完成したのです。

戦争に原爆を使用する決断をした統合者はいつも問題にされますが、これだけ大勢の科学者が、原爆開発の最中に何の罪悪感を感じていないことは、あまり非難されません。純粋な知の追求をする自分達は無垢な存在であり、その知の追求は善であり、それを誰もとがめることが出来ないという幻想観念を共認しているのではないでしょうか。そして、反社会的な研究活動を行うとき、集団内でその共認を強化し現実を捨象するのではないでしょうか。まるで、自分達が少年の無垢な心のままであるかのように思い込んで。




本田真吾

原爆をつくった星少年たち 1・・「科学者独自の倫理」

丸山ワクチン問題の分析から、専門家集団独自の行動規範は、普通に考えれば社会の期待に反し罪悪感を感じて然るべきものでも、それを捨象してしまうだけの強力な幻想観念の共認が集団内に成立しているのではないか?また、専門家集団の自己完結性とはそのような排他的で自己讃美性の強い「聖職者意識」に近い幻想観念共認が作り出しているのではないか?という仮説を立てました。今回は、科学者について同様の分析をしてみたいと思います。

唯一の原爆被爆国日本、あの惨事は日本人に限らず人類の悲劇として捉えられているというのが一般的見解です。反戦.反核運動などをみていると、今でもそのような価値観が浸透しているようにも見えます。しかし、核兵器はなくらない、すぐに核兵器につながる研究は現在でも莫大な国家予算をつけて継続中である、と言う事実はどう考えればいいのだろうかという疑問は残ります。

まず、終戦後の日本の原爆に対する意識はどうであったのだろうか?惨事として受け止められている反面、当時子供だった物理学者佐藤文隆氏によると、

>「原爆はすごい!」という感銘近いものが当時はあったという記憶である。「記憶」だけではなく自分を物理学に導いた原体験ではなかったかという想いである。戦後4年目の湯川秀樹のノーベル賞受賞という〈事件〉でも、その研究内容が原爆と同じ「原子の世界」であるという一体性が強調された。科学の進歩はいまや原子の世界を解明し、その最初の最初の証明が原子爆弾であったのは不幸であるが、その知識が原子力をはじめ数々の恩恵をもたらす科学の時代に入ったといわれた。
(佐藤文隆「科学と幸福」岩波文庫より)

広島.長崎で20万人をこえる死者を出した大惨事に対する、大衆の科学への評価はこうだったのです。湯川秀樹のノーベル賞に日本中が沸いたのは、終戦後僅か4年のことです。佐藤文隆氏は現在科学者集団の自己完結性問題を研究されており、科学者にもの申す科学者として活動されています。この不謹慎にもみえる社会の評価は、実は近代科学のもつ本質問題をあらわしていると思います。科学そのものは純粋なものでその利用方法に問題がり、そして、純粋である科学者の「知の追求」に悪意はなく、それだけで評価に値する、という2点の価値判断において。



本田真吾

要素還元的科学信仰からの脱却 2・・「科学と医学」

ここで、近代医学側の攻撃要旨をまとめてみると、根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine;EBM)以外はえせ医療であり、ホメオパシー医学は治癒のメカニズムが解らないのでえせ医学である。また、その行為の結果治癒してるかどうかすら疑わしい、というところでしょう。日本でも丸山ワクチンが医師会の手によって同様の攻撃を受けました。癌にかかった身内に何とか投与したいと思うと、治験薬であるため、きわめて複雑なルートでしか入手できない状況にあるのとおなじです。

その中でも、特に攻撃の的になっているのは、化学的濃度計算によると、希釈倍数がアボガドロ数を超え水溶液中に1分子も薬物が入っていない場合がある点です。近代医学の主張の濃度問題は、近代科学で解明された範囲において正しく、高校生の化学の知識で理解できます。要素還元的な手法で発見できる限界でしょう。しかし、自然ましてや生命はそのような認識で理解できる部分をはるかに越えており、根拠を科学的といったとたんに現在の要素還元的手法で解っている範囲に限定されます。現に最近の研究で『水の記憶』というものがあり、従来の知識は解明しきれない現実効果をもっているということも注目されています。

問題は、その対象への認識レベルの自覚があまりに低いということでしょう。自然や生命は人間の認識をはるかに超えており、そのほんの一部が解明されているだけであると言う認識に立てば、ホメオパシー医学のたくさんの治癒例(事実)から未だ解明されていない全体性を読みとることは可能です。そして、その可能性のみに注目し、未だ解明されていない全体性を読みとることも可能になってくるでしょう。このような認識法に至ることが困難なのは、近代科学だけの問題ではなく、現代人に共通の弱点だと思います。超越性を失った観念思考と言う意味で。

『本源の科学』とは、事実をもとに、その可能性のみに注目し、未だ解明されていない全体性を読みとる認識方法による科学なのかもしれません。




本田真吾

要素還元的科学信仰からの脱却 1・・「科学と医学」

藤岡さん吉国さんこんにちは。近代科学や近代医学が専門化集団の自己完結世界の中でゆがめられてしまっている点の問題を共有できて嬉しいです。

>医学的あるいは科学的根拠が大事。根拠のないことはすべてえせ、嘘偽り。
「いまのところは根拠はないけれど、患者の治癒例がある」という「グレーゾーン」の事例はたくさんあると思うのですが、医師はそれに「手を貸」してはいけないらしい。4977藤岡さん

>科学的とは人間に対しての要素主義的な立場から機械論的なアプローチをとること…。体全体を考えるというと、近代医学に対しての漢方医学。これは、有機的な身体全体を総合的に考慮していく、ということですが、 4970吉国さん

という点についてもう少し深めてみたいと思います。先に投稿したホメオパシー医学は全体性の医学であり、それに対応するのがアロパシー医学(近代科学を母体にした要素還元的な近代医学)と呼ばれています。この二つの医学の対比から全体的認識法と要素還元的認識法の違いと可能性について考察したいと思います。もし、2つの医療についての詳細が知りたければ『人はなぜ治るのか』.アンドルーワイル著.日本教分社.を参照してください。

ホメオパシー医学とアロパシー医学は、治癒率ではかなり好成績を上げている前者を、科学的根拠が不十分であるため正当な医学とは認めないと後者が否定するという構図で対立しています。とはいっても、ヤミ医療とまで烙印を押されている訳ではなく支持者(治癒した患者)はたくさんいます。

ホメオパシー医学の特徴は過去の治癒統計を重視する(事実を重視する)ことにあると思います。具体的方法としては、ある病状にたいして何々病としてカテゴリー分けを行い、その病種に対して共通の薬を処方するという近代医学の方法とは異なり、症状を何時間もかけて徹底的にヒヤリングし(生活パターンや嗜好まで近代医学の感覚では、およそ病状と関係ないようなものまで)、健康な人が服用するとまったく同じ症状が出る薬物(毒物)を過去統計から抽出します。

そしてそれを、極端に希釈して服用させます。近代医学でいう病種が異なっても同じ薬になることがあるわけで病種という概念は重要視していません。その結果、患者は一時的に病状悪化しますが、希釈された薬物に対して刺激された自然治癒力はもとの症状そのものも取り去り、近代医学のように体内に高濃度の薬物を充満させることなく治癒していくのです。

この療法は、生命原理を良く捉えた優れた医療だと思います。しかしながら、どういうメカニズムで治るかということに関しては『自然治癒力』を刺激して、それを活性化させるという手法であるため、その根拠を問うことが生命機構そのものを問うことになり、現在の科学認識では手におえない状況にあります。



本田真吾

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